12.沼津 - 驟雨の中ひたすら西へと進んだ
東海道五十三次 / 日本橋 - 21次 岡部宿 / / 2009-2014
雨の中、ただ西へと進んだ記憶
その日は、箱根越えから少しでも西に駒を進めるためだけにとぼとぼ歩いていました。人気のない広い道路には車もまばらです。
沼津は私がかつて好きだった作家が学生時代を過ごしていたということもあり、青春時代に遊びに来たことがありました。そういった儚い記憶しかないのです。川辺を歩いているときに、風情のあるネーミングについての解説文を見つけました。
川廓の由来川廓町は志多町と上土町の間の東海道往還沿いにあって東側は狩野川に接し、 背後は沼津城の外郭に接した狭い町であった。「川廓」は「川曲輪」とも記し、 狩野川に面した城郭に由来して名付けられたものと考えられる。
大坂では天気の良い日に松並木から素晴らしい富士山が眺められることから、多くの浮世絵の画題となりました。 昭和七(一九三二)年に坂の改修工事が始まり、頂上を削り、下の方は十メートルほど土盛りをしてなだらかな長い坂にしました。現在の大坂になるまでは数回の改修がおこなわれたそうです。
私は、この日は僅かな記録だけで日記も書き残しておらず、写真もあまり撮っていません。東海道行脚この7年間、元気があるときも、この日のようにしょんぼりしているときもあったのです。それもまた人生の一部です。