13.原 - 青空に、吐息が富士の雪のような白さで舞った
東海道五十三次 / 日本橋 - 21次 岡部宿 / / 2009-2014
原から吉原へ
JR原駅に朝7時17分に着きました。
朝ご飯を買おうと立ち寄った売店には桜海老のストロー細工がおいてあり、「ご自由にお持ちください」とあるので、桜色と黄緑色の海老もらい、おむすびを頬張りながら道を急ぎました。
静岡は温暖だといっても早朝はとても寒く、吐く息は真っ白になるほどでした。道路は凍っていて、落ち葉の葉脈にも細かい霜が降りてなんだかロマンチックな気持ちになります。空が明るくならないうちから道を急ぐ江戸時代の旅人も冬の朝は難儀だったろうと思います。
原から元吉原までにかけて松並木は所々残っていました。線路を超えるところまでの道のりはあっていましたが、勢いあまってJR吉原駅までいってしまいました。
そこにスーパーがあったので、とりあえず入ってみることにしました。奥の鮮魚コーナーに行くと、ピッチピチの魚が並んでいるではありませんか。お惣菜コーナーではマグロの煮物などありましたが、割り箸がないので泣く泣くおむすびだけを購入しました。座れる場所を探し、本日二つ目のおむすびを食べ終わりるとお腹がいっぱいです。そこで地図を確認することにしたとき、この間違いに気づいたのです。私は200メートルくらい引き返し、再び線路を渡り旧道に戻りました。
田子ノ浦には出ないのが正解ということです。田子ノ浦は今は浦ではなく港になっているようです。
そこからは、サークルKを過ぎ、道なりに歩いていきます。高速道路の下に吉原の碑を見つけました。そこは、ミシュランタイヤの店になっていました。
道標はなんとか気づきますが、小さな碑は見逃しそうな気がします。江戸時代と違い、今は道が四方八方に広がっているので、よく注意しないと東海道をなぞるのが難しくなっていると思いました。
安藤広重の絵にもなった名勝左富士では、工場の建物に阻まれて富士山は見えずに、ただ一本の松が残っているだけでした。左富士を過ぎると、平家と源氏の富士川の合戦の場所を通ります。
東海道 名勝 左富士
東海道を東から西に行くとき、富士山は右手に美しい姿を見せますが、この辺りは松並木の間から左手に見えることから、左富士と呼ばれて、街道の名勝となりました。
浮世絵師安藤広重が描いた風景画「東海道五十三次内吉原」は左富士の名画であり、彼の道中日記に「原、吉原は富士山容を観る第一の所なり。左富士京師(けいし)(京)より下れば右に見え、江戸よりすれば反対の方に見ゆ、一町ばかりの間の松の並木を透して見るまことに絶妙の風景なり ここの写生あり」と記されています。
今日、周辺には工場、住宅が建ち並び、浮世絵に見るのどかな風情はありませんが、わずかに残る一本の老松は往時の左富士をしのぶものとして、大変貴重です。
昭和六十一年二月一日 富士市教育委員会
かわいらしい吉原本町駅の踏切りを越えると吉原商店街に出ます。商店街は道標や地図が多いのでとてもわかりやすく、富士山グッズを扱う専門店のお兄さんにもらったルートマップも役に立ち、とても楽に歩く事ができました。私の持参した本の地図は概略のようだなと、このとき初めて気づきました。