47.関 - 中世に迷い込んだかのような錯覚に陥る
東海道五十三次 / 42次 桑名宿 - 三条大橋 / / 2009-2014
亀山と関の間にある野村集落を過ぎると、のどかな町並みが広がっていました。関町ひな街道と銘打って家の壁におひな様の絵を飾っていたりするので、なんだかウキウキしてきました。そうするうちに関宿に到着です。関宿は歴史保存地区だけあって時代劇ができるほどの町並みでした。ですが、もう帰らなければなりません。宿の途中までふらついた後は関駅に足を向けることにしました。
関の小萬(こまん)のもたれ松江戸も中頃、九州久留米藩士牧藤左衛門の妻は良人(おっと)の仇を討とうと志し、旅を続けて関宿山田屋に止宿、一女小萬を産んだ後病没した。
小萬は母の遺言により、成長して三年程亀山城下で武術を修業し、天明三年(1783)見事、仇敵軍太夫を討つことができた。
この場所には、当時亀山通いの小萬が若者のたわむれを避けるために、姿をかくしてもたれたと伝えられる松があったところから、「小萬のもたれ松」とよばれるようになった。
関の小萬の亀山通い 月に雪駄が二十五足(鈴鹿馬子唄)
平成六年二月吉日 関町教育委員会
関宿は重要伝統的建造物群保存地区として管理されているせいで、まるで中世に迷い込んだかのようでした。新聞店や郵便局は明治時代のような外観で、旅人宿石垣屋という安宿はまさに庶民が止まる旅籠のような感じです。百六里庭からは二階に上がれるので、瓦葺の街道の先に鈴鹿峠の山なみを見ることができました。
夜行バスは進化をし続ける
前回、一旦横浜に戻ってきていたので、今回は新宿から四日市経由で関に戻るところから始めます。
夜に新宿西口に行ってみると、自分が乗るバスを探す以前に、自分が乗るバス乗り場を探すことから始めなければならないことがわかりました。いくつかの異なるバス会社の人に教えてもらい、私はようやく三井住友ビルのミラノバス乗り場を見つけることができました。
どうしていつも前もって下調べをしないんでしょうね。川崎発津行きのバスはまだ到着していませんでしたが、興奮していたので立ったまま待ちました。私は時折乗り物酔いをするので、乗車時間を短くするために敢えて川崎からではなく新宿からの乗車にしたのです。
バスに乗り込んでみると、4列シートながらリクライニングが効いて、シートの硬さも丁度よくなんとも快適な旅でした。昔の夜行バスの概念が覆されました。あっという間に四日市に到着です。
懐かしい四日市。降車した近鉄四日市駅からJR四日市まで歩き、亀山乗り換えで関に向かいました。
関駅を降りると微かに雨が降っています。関の町はまだ眠っているかのようで、街道の先に見える鈴鹿峠は霧に曇っていました。