48.坂下 - 最後の峠越えは雪が演出してくれた
東海道五十三次 / 42次 桑名宿 - 三条大橋 / / 2009-2014
関宿の西の追分を出て国道を歩いて行くと、伊豆の山中のような景色になりました。しかし、ここには温暖な気候からくるのどかな感じはありません。
私は国道の電光掲示板に「鈴鹿峠雪 スリップ注意」と出ているのに気づきました。3月の終わりなのに雪?鈴鹿峠て標高が高かったっけ?ほんの少し心配な気持ちになりながら、坂下宿の道標を目印に歩き出しました。
道脇に落ちている椿の花弁も濡れています。濃い色に染まった落ち葉のベッドに椿の紅がよく映えていました。雪も風もどんどん強まってきます。
鈴鹿馬子唄発祥の地の碑は大きいのですぐにわかりました。石碑の裏には、日本橋から三条大橋までの杭が立っていて、一つひとつの宿名を読んでいるうちに感慨深くなりました。
坂下宿に到着した頃、雪と強風が更に強くなったように思いました。 撮影するとカメラが濡れて壊れてしまいそうです。カメラを水分から死守しつつ、本陣跡を画像に収めました。
坂下は味のある宿で、時代劇に出てくるような野趣にあふれた風景が広がっていました。
私は鈴鹿峠を目指して歩き出しました。道標が出ているのでそのとおりに行けば迷いません。
山道を入っていくと石畳になりました。そして、それは階段になり、さらに山に入る途中で「鈴鹿山の鏡岩」の標識が目に留まりました。私は横にそれて行ってみることにした。今度は迷いそうです。獣道のような細い道なのです。
鏡岩からの眺めは良いといわれていたので期待していましたが、ホワイトアウトのようになっていてよく見えません。足も滑らせそうなので、とりあえず自分の体を第一に考えることにしました。ここで野垂れ死になどしたら、ひどい姿を人目に晒してしまいます。
強風や雪は確かに冷たかったのですが、こういった景色は侘び寂びに通じるものがあると感じました。峠を抜けると立て札があり 「山の天候をちゃんと確かめましたか」というようなことが書いてありました。 越えた後に読んでしまったために今更感は否めません。とにかく山は怖いということを体感した一日でした。
鈴鹿峠
鈴鹿峠(378m)を越える初めての官道は「阿須波道(あすはみち)」と呼ばれ、平安時代の仁和2年(886年)に開通した。
八町二十七曲りといわれるほど、急な曲がり道の連続するこの険しい峠道は、平安時代の今昔物語集に水銀商人が盗賊に襲われた際、飼っていた蜂の大群を呪文をとなえて呼び寄せ、山賊を撃退したという話や、坂上田村麻呂が立烏帽子という山賊を捕えたという話など山賊に関する伝承が多く伝わっており、箱根峠に並ぶ東海道の難所であった。
また鈴鹿峠は、平安時代の歌人西行法師に
「鈴鹿山 浮き世をよそにふり捨てて いかになりゆく わが身なるらむ」
と詠まれている。 江戸時代の俳人、松尾芭蕉は鈴鹿峠について
「ほっしんの 初に越ゆる 鈴鹿山」の句を残している。鈴鹿国定公園 環境省・三重県