46.亀山 - 古民家を眺めながら巡見道を歩く
東海道五十三次 / 42次 桑名宿 - 三条大橋 / / 2009-2014
庄野を出て中富田一里塚を過ぎ、井田川駅に出ると、庄野と亀山の矢印看板がでていたので少しほっとしました。それまで、あまり電車や人を見る機会もなかったのでなんとなく寂しかったのかもしれません。
亀山宿に入ると、各家に昔の生業を書いた札が掲げられているので、一つ一つ眺めながら歩いていきました。
巡見道巡見道という呼称は、江戸時代にこの道を巡見使が通ったことによる。巡見使が最初に派遣されたのは、三代将軍家光の寛永10年(1633)のことで、その後将軍の代替わりごとに、諸国の政情、民情などの査察や災害などの実情調査を行う目的で実施された。
巡回道は、ここで東海道から分岐して北上し、盆野を経て濃州道と合流した後、伊勢国を通過し中山道とつながる。
平成16年9月建之 亀山市教育委員会
亀山宿は城下町だけあって、お城関連の遺構も残っていました。
亀山城大手門跡大手門は、東海道に直面する亀山城の正門として位置づけられる門である。大手門櫓と大手門脇櫓から構成される枡形門で、一の門が省略されたものとなっている。
大手門櫓は総漆篭、幅三間、長さ十二間で、明治初期に撮影された古写真から東半分が櫓台となる石垣の上に載り、西半分の下が門となっていたことがわかる。屋根は入母屋造本瓦葺で両溝に鯱をあげ、門は中央に両開きの大扉を持ち、正面左側に片開きの脇戸を配していることがうかがえる。
また、大手門脇櫓は二間半×三間の平櫓で、屋根は切妻造本瓦葺であった。明治初頭には石垣にいたるまで破頭され、往時の形状を見ることはできないが、発掘調査により、枡形石垣の痕跡が確認されている。
平成16年9月建之 亀山市教育委員会