1.神奈川 海が傍にあった記憶を辿る
東海道五十三次 / 日本橋 - 21次 岡部宿 / / 2009-2014
文化の違い
川崎を過ぎて鶴見に向かうことにしました。旧道に入って新道に戻る地点が二カ所ほどあります。その二カ所目のところをと海の方に遠回りしたときに、生麦事件発生した場所を通りました。
よく日本人が、海外での常識を知らずに行動して被害に遭うことがありますが、生麦でのイギリス人も日本の常識を知らなかったんだと思います。 今でも時折感じますが、イギリス人は日本人を見下していたのかもしれません。早川松山の生麦の発殺という絵の下に当時の日記が書かれているのですがあまり理解できませんでした。
生麦事件発生現場
文久二年八月二十一日辛末晴天
島津三郎様御上り異人四人内女壱人横浜ヨリ来リ
本宮町勘左衛門前ニ而行逢下馬不致候哉異人被切付直ニ跡へ逃去候
処追被欠壱人松原ニ而即死外三人ハ神奈川ヘ疵之儘逃去候
ニ付御役人様方桐屋ヘ御出当村役人一同桐屋ヘ詰ル
右異人死骸ハ外異人大勢来リ引取申候
生麦村名主 関口日記ヨリ
平成十一年一月 生麦事件参考館設置
ずぼらな私はwikipediaで調べてみます。
生麦事件
幕末の文久2年8月21日(1862年9月14日)に、武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近において、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を、供回りの藩士が殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件である。
wikipediaより
鶴見を過ぎたころ雨脚が強くなり、傘を刺してみたものの効果が感じられないくらいの大降りになりました。雨は神奈川-保土ヶ谷、三島-原、御油を歩いた時以来でしたがこれほど強いのは初めてです。雨が降るとなぜか体力を使うんです。寒さと疲れに負けた私はコーヒーを買いにマクドナルドに逃げ込んでしまいました。