16.由比から薩埵峠へ - 生活の垢は清風が吹き飛ばしてくれた
東海道五十三次 / 日本橋 - 21次 岡部宿 / / 2009-2014
由比宿から薩埵峠へ
蒲原から由比まではそれほど遠くありません。ですが、スーパータイヨウやセブンイレブンに寄ったりしているうちに、どんどん辺りが暗くなってきました。
由比の主な見所は本陣公園と廣重美術館です。例によって営業時間外だったので、私は旧道を徘徊しました。ここもまた情緒ある古い町並みなのです。ふらふらしていると、桜えびを扱う店が多いことに気づきました。直売店をはじめ、桜海老のかき揚げや桜海老ソフトクリームまであります。しかし時間が遅すぎました。私は夕焼けが桜エビ色から藤色に変わっていくのを横目にしながら先を急ぎました。
由比の宿を過ぎたところにある旅館にたどり着いたら、暖かいお風呂に入って疲れを癒します。東海道を泊まりで歩く初日の夜は、やはり少し興奮しているようです。
翌朝、寝坊した私は8時9分に由比の旅館を出ました
由比から興津に向かう旧道は細くとても風情があり八坂神社や本陣跡あかりの博物館、小池邸等々昔の建築物が並びます、残念なことにすべて扉が閉まっています。
そして本日のメインイベント薩埵峠超えです。といっても 228メートルくらいの小さな峠です。
峠から来た道を振り返ると美しい富士山と由比の町、広がる海まばゆいばかりでした。これが歌川廣重の東海道五十三次に描かれたものです。また、足利氏もここで戦ったそうです。ここは撮影ポイントらしく、カメラ愛好家がたくさんいました。
薩埵山合戦
古来、ここでは二度の大合戦があった。まず観応2年(1351)室町幕府を開いた足利尊氏と鎌倉に本拠を構えた弟の直義(ただよし)が不仲になり、ここ薩埵峠から峯つづきの桜野にかけて山岳戦を展開し、やがて直義軍が敗退した。
二度目は永禄11年(1568)から翌年にかけてで、武田信玄が駿河に侵略したので、今川氏真が清見寺(せいけんじ)に本陣を置き薩埵峠に先鋒を構えたが敗退した。
そこで小田原の北条氏が今川に加勢して出陣し、今度は、武田が破れていったん甲州へ引き上げたが、永禄12年12月に三たび侵攻し、このとき蒲原城を攻略した。
平成17年7月12日 由比町教育委員会