22.藤枝 - 痛む足を騙し騙し歩く
東海道五十三次 / 22次 藤枝宿 - 41次 宮宿 / / 2009-2014
足の疲れにはビビンバでエナジーチャージを
横内橋、八幡橋と渡るたびに緩やかに流れるの川に癒されます。途中に「旧東海道 鬼島の立場」という石碑があり、十返舎一九「東海道中膝栗毛」によると江戸時代の街道の人たちは互いに道を譲り合いみんな気持ちが優しい人達だったということです。物理的には現代よりも貧しかったかもしれませんが、心理的には豊かだったのでしょう。
須賀神社の大きな楠を眺めて腕時計に目を落とすと、あまり進んでないのに時間ばかり経っていたことに気づきました。ショッピングプロムナードさわやか通りを抜けていきます。
歌川廣重の絵になった上伝馬問屋場跡は、江崎パーキングになっていました。藤枝は結構大きな街だったようです。
ここで心残りだったのは、喜久屋さんで東海道名物「瀬戸の染飯」が売り切れていたことです。クチナシは疲労回復の効果があると言われているため、クチナシで染めた染飯をぜひとも食べたかったのですが、2時半ごろ行ったにもかかわらず売り切れでした。私は代わりにお赤飯を購入しました。
もそろそろ足が悲鳴をあげてくるころです。実は私の足は朝から弱音をはいていました。体が弱ると気持ちもくるようで、人生にも疲れたという錯覚を覚えてきました。
私は気持ちを奮い立たせるために。長澤まさみさん行きつけの「炭焼きレストランさわやか」に行ってみることにしました。オーダーしたのは石焼ビビンバです。
お肉はもちろん、ほうれん草やもやしは野菜本来の美味しさが伝わってくるような味わいで、美味しいお米とのマリアージュはいつまでたっても忘れられません。 いつかハンバーグをいただきに再訪するのが夢です。
そうこうするうちに日が暮れて、島田宿のに着いたときは日が暮れていました
上田信用金庫の前に島田宿の石碑があります。1843年の人口が6,727人と府中に次ぐ規模だったようです。島田宿は江戸から52里2町45間(約204キロ)の距離です。国道1号の道標では208キロ位とありました。