25.日坂 - ノスタルジックな町は年始前の静けさにつつまれていた
東海道五十三次 / 22次 藤枝宿 - 41次 宮宿 / / 2009-2014
島田-金谷-日坂
ここ数年で急激に体が弱ったみたいです。
茶畑と夜泣き石を通り過ぎてようやく日坂のふもとに到着です。日坂はとってもコンパクトな宿です。昔ながらの建物が数件残っていて、庶民の泊まる旅籠「萬屋」と士分格の泊まる大旅籠「川坂屋」がノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。ぜひとも「萬屋」に泊まってみたいものです。
ここでも年末年始の休み阻まれ「川坂屋」を見学することができませんでした。トラックを運転していた男性が「どこから来たの?横浜から?せっかく来たんだから川坂屋を見せてあげたいんだけどなぁ」と言葉をかけてくれました。掛川城主の茶室が有名なんだそうです。
市指定建造物 旧日坂宿旅籠 川坂屋
大坂の陣(慶長19年・1614の冬の陣と翌年の夏の陣)で深手を負った武士太田与七郎源重吉は長松院で手当を受け、その後、日坂に居住しました。
旅籠屋「川坂屋」はその子孫で寛政年間(1789-1800)に問屋役を務めたこともある 齋藤次右衛門が始めたと伝えられています。
現存の建物は宿場の殆どが消失した嘉永5年(1852)の「日坂宿大火」後に再建されたものです。宿で一番西にあった旅籠屋で、日坂宿では江戸時代の面影を遺す数少ない建物の一つです。
精巧な木組みと細かな格子が特徴的で、当時建築にあたっては江戸より棟梁を招いたとのことです。
遺構や道標など、撮影している際も近所の女性が声をかけてくれたり、静岡の人はとても優しくて、うれしい気持ちになりました。歌川廣重の画にも描かれていたように、佐夜ノ中山のあたりはかなりの急坂でしたが、菊川と日坂はとても心温まる宿でした。
私はパンパンに張った足を引きずりながら掛川をめざしました。