27.袋井 - 松並木を抜け東海道の真ん中の宿へ
東海道五十三次 / 22次 藤枝宿 - 41次 宮宿 / / 2009-2014
袋井
掛川から袋井までの道のりには松並木が多いので東海道の旅人になったような気分になれます。ここにも「原川」という間の宿がありました。掛川宿まで一里十八町(約六キロ)、袋井宿まで三十三町(約三・六キロ)なんだそうです。東海道中には五十三の宿だけでなく間の宿がたくさんあるのです。
私は松並木と一緒に写真を撮りました。
ここ袋井の宿は江戸からも京からも真ん中の二十七番目の宿ということで、どまん中茶屋という茶店があるのですが、そこも結局閉店なのでした。その衝撃で少し道を間違えましたが無事袋井駅にたどり着くことができました。その日は掛川に宿を取っていたので、電車で逆戻りすることにしました。
翌朝は朝から足が痛くて大変でした。体と繋がっている感覚ではなく、体に重たい棒がついている感じです。
掛川から袋井まで電車だとあっという間です。私は昨日歩き終えた地点に戻ります。なんにせよ、朝の空気が爽やかで気持ちいいものです。
袋井の高札場に掲げられた高札場や秋葉山常夜燈、土塁の説明は古いせいで文字が読み取りづらかったです。それぞれの宿で道標や遺構の説明板、当時の屋号の表札などを見てきて、各自治体の東海道にかける思いが伝わってくるような気がしました。
確かに、なにもかも便利で快適になったにもかかわらず、毎晩残業で有給休暇もとりづらい現在、五十三次を踏破して遊ぶ日本人は少ないかもしれません。東海道ウォーキングが一大ブームになれば、市や町は力を入れてくれるのではないでしょうか。と、我が儘な考えが浮かんだりしました。
袋井は丸凧が有名だそうで展示ギャラリーがありました。
その後私は、武田信玄が徳川家康を破った三方原の戦いの前哨戦の場所、木原畷古戦場の近くを通った。木原は江戸時代に村だったそうです。木原松並木過ぎると明治の道にさしかかりました。木々が生い茂っる中に一軒のラブホテルが異質な光景を作り出しています。道を出ると右に曲がる道標があります。
道標に従って歩いていくと大正の松の木というのがあり、こちらも立派な松並木でした。これは東大久保の東海道というのでした。