29.浜松 - 都市の中に見る東海道
東海道五十三次 / / 2009-2014
浜松
天竜川を渡ると左に左折して穏やかな道を上ります。ときどき遭遇する松並木に心が安らぎました。私はようやく浜松にやってきたのですが、浜松の街は現代的になりすぎていて江戸時代の残り香が感じられません。
国道1号から左折した場所に、佐藤本陣跡や梅谷本陣跡などの案内板を見つけました。江馬殿小路跡についての解説は面白く、今の連雀町・伝馬町・肴町の町境にあった小路で、肴町に魚市場があった頃は大八車の往来が盛んで、両側には飲食を扱う店があり、一名“うまいもの小路”ともいわれていたそうです。江馬の名は永禄の頃家老の江馬安芸守泰顕の屋敷が近くにあったからという、歴史ある名前なのでした。
私はこの近くでスキュータムAという湿布を貼り直して、舞坂まで歩くことにしました。足の調子も良くなってきていました。
単調な道が続きます。途中、篠原一里塚跡を過ぎたころ、又足に痛みがはしりました。セブンイレブンの駐車場の車止めブロック座って15分休憩です。
あっというまに時間が過ぎ、まだここで休んでいたい気持ちに気合いを入れ直して舞坂をめざしました。舞坂につくころは日が落ちかけていて、松葉のアーチが優しく迎えてくれました。
さて、これから横浜に帰らなければなりません。18:10浜松発の電車は、20:07に今回の出発地点だった原駅に着きました。私の五日間の行動は一瞬にしてもとに戻った気がします。それでも、五日間のタイムスリップはとてもいい気分転換になったのです。
後日談
横浜に戻って休み明けの接骨院に行ってみると、先生はいつもの笑顔で聞きました。
「今度はなにしたの?」
「五日間毎日七里ぐらい歩いたらこうなっちゃったんですよ」
「大股であるくとか、変な歩き方したんでしょ」
「そうです。NEVERまとめに大股で歩くと普段使わない筋肉を使うから痩せるって書いてあったから、痩せるかと思って」
「前脛骨筋がこむら返りのような状態になっちゃっているから、湿布をするくらいしか対処法はないよ。湿布だしておこうか?」
「お願いします」
「普通に歩けばこんなことにならなかったんだよ」
前回来たときは、厳寒の朝、ドアに小指をぶつけ指が折れたにもかかわらず一カ月放置し、骨がくっついたころ、こちらの接骨院にお世話になったのでした。私はまた先生にまた呆れられてしまったな。と思いました。