30.舞坂 - 松のアーチを潜り、脇本陣へ迷い込む
東海道五十三次 / 22次 藤枝宿 - 41次 宮宿 / / 2009-2014
舞坂から新居へ
今朝の舞坂行きは朝寝坊したため、始発で舞阪に向かうはずだったのが二号目になってしまいました。
舞阪駅を降りたところから歩き始めます。朝の光を浴びて松の木や葉は本来の色を取り戻していました。松並木道に平行して日本橋から京都への五十三次の小さな石碑が立っています。今まで通った宿とこれから行く宿の名前を一宿ずつ眺めながら歩いて行きました。
しばらく行くと、立派な藁のしめ縄飾りをつけた常夜燈と一里塚が見えてきました。
一里塚跡
江戸幕府が日本橋を起点にして街道に一里塚を築かせたのは慶長9年(1604)とされる。天保年間の宿村大概帳には舞阪宿は江戸より67里16町に位置しており、ここの一里塚は左右の木立共松と書かれている。
しかし古老の話では大正時代まで一抱え半もあるおおきな榎の木が枝を四方に繁らせていたというから幕末の頃には榎の木が植わっていたと解釈してよいだろう。
なお北側の一里塚は土地台帳に町有地としてわずかに名残りをとどめているのみであす。
舞阪町教育委員会
新町 常夜灯
この常夜灯は正面が秋葉大権現 西面が津嶋牛頭天王、南面が両皇大神宮、東面が文化12年乙亥正月吉日と彫られており、文化12年に建立されたことがわかる。
江戸時代の舞阪はよく火災に見舞われ、特に文化6年(1809)には宿場の大半を焼く大きな火事があり復興に大変難儀をしている。当時火防せの山、秋葉信仰の高まりとともに人々の願いによりこの常夜灯が建立されたもので、その世話は現在も地域の人たちに引き継がれている。
舞阪町教育委員会
舞坂宿脇本陣の博物館に入ってみました。お正月休みはどこも休館だったので、箱根関所ぶりに古い建物の中で展示物目にして心が躍りました。脇本陣内はしっとりして優雅な佇まいです。解説を読んでいるうちに時間が過ぎていき、思いがけず長居をしてしまいました。
舞坂宿脇本陣を出ると新居へ足を向けます。浜名湖はとても穏やかで、透きとおったコバルトブルーが印象的でした。