31.荒居 - 今も関所が営まれているような、そんな気がした
東海道五十三次 / 22次 藤枝宿 - 41次 宮宿 / / 2009-2014
新居には関所が残っていて、受付では新居関跡と旅籠紀伊国屋の綴り券が売っていました。箱根関所のように観光客の行列がないため、自分のペースでゆっくりと見ることができます。
面番所という役人が詰めている座敷にはいろいろな肩書きをもった人形がいて、私も女手形を取り調べられているような気分になりました。当時の手形には、鉄砲・女だけでなく、乱心、囚人、首、死骸などがあったそうです。
新居関所
正式には「今切関所」といい、慶長五年(一六〇〇)に設置 されました。しかし、地震や津波などの災害により何度も移転しなければなりませんでした。宝永四年(一七〇七)の災害によって現在の地に移転しました。現在公開されている建物は、嘉永七年(一八五四)の地震で壊され、次の年の安政二年(一八五五)にたてられた門番所の跡です。
国指定特別史跡 新居関所
新居関のそばにある甘味屋さんは古民家風の内装らしく、誘惑に負けそうになりましたが、時間がないので後ろ髪を引かれながら紀伊国屋旅籠に向かいました。
紀伊国屋で角まくらや桐箪笥、火鉢などを眺めているととても落ち着くのです。ここ数年、私の部屋はエスニック風インテリアにしていたのですが、元禄時代の歴史力に押され和風に回帰しそうです。
関所跡や旅籠が物珍しく、シャッターを切ってばかりいたせいでカメラのバッテリーが少なくなってきました。
新居を出て白須賀に向かう途中で石碑を見つけました。なにやら書いてあります。
風わたる濵名の橋の夕しほに さされてのぼるあまの釣舟
前大納言為家わがためや 浪もたかしの浜ならん 袖の湊の浪はやすまで
阿佛尼(あぶつに)藤原為家(1198-1275)
鎌倉中期の歌人で定家の二男、初め朝廷に仕え、 承久の乱後、「千首和歌」で歌人として認められ、「続後撰和歌集」「続古今和歌集」の勅撰集を始め、多くの私家集を編んだ。歌風は温和、平淡。この歌は「続古今和歌集」巻第十九に収められている。阿佛尼(?-一二八三)
朝廷に仕えた後、藤原為家の継室となり、夫の没後出家し、鎌倉下向の折「十六夜日記」をなした。この歌は同日記 にあり、当時のこの辺りを豊かな感性でとらえている。よって為家・阿佛尼の比翼の歌碑とした。
新居町教育委員会