41.宮 - 七里の渡しで海の凪を見た
東海道五十三次 / 22次 藤枝宿 - 41次 宮宿 / / 2009-2014
翌朝、居心地の良かったホテルを出発すると、鳴海駅に向かいました。東口で降りで旧道を歩くと、普通の住宅街ながら、ところどころ古い家屋や常夜燈があり懐かしさが感じられる通りでした。途中も、立や東海道は右などの矢印が有るので助かりました。
山﨑の長坂を過ぎ、鉄道の高架をくぐって七里の渡し公園にたどり着きました。宮の渡しはとても静かなところで、私もここから三時間かけて船で渡ってみたいと思いました。
宮の宿とシーボルトここ宮(熱田)の宿・神戸(ごうど)の浜から桑名宿まで東海道では唯一の海上七里の海路で、東西の人々の行き交いが盛んであった。
名古屋の本草学者水谷豊文、その門下生伊藤圭介、大河内存真(おおこうちぞんしん)らは、ドイツ人医師シーボルトが、文政九年(1826)二月オランダ使節に随行して江戸へ参府する際と、四月長崎への帰路、宮の宿で会見し、教えを受けた。
彼らは名古屋の医学・植物学の研究に多大な貢献をした。
名古屋市教育委員会
Atuta Posting Station and P.F. von Siebold
In 1826, MIZUTANI Hobun, medical herb researcher and his students including ITO keisuke met a German physician, Philipp Franz von Siebold, who was accompanying a Dutch delegation to Edo, and asked him to share his knowledge with them.
私はこの公園のベンチで藤田屋の天ぷらあんまきを食べて小腹を満たしました。温めたらもっとおいしいのでしょうが、手段がありません。それでもあんまきは最高に美味でした。
現在の東海道行脚ファンの間では、ここで別の旧道を歩き桑名に行くか、電車に乗るかという論争がおきています。私は電車でワープするために、公園から熱田駅まで歩きます。
せっかくなので熱田神宮に立ち寄ってみました。熱田神宮は創祀1900年を迎えるそうです。とても多くの人が出ていて神宮の神秘的な姿よりも、大混雑に驚かされました。お参りするだけでも並ばなければなりません。公園から神宮に行く途中にある櫃まぶしやさん「あつた蓬莱軒」も予約する為の行列ができていました。
私はお参を終え、さっさと熱田駅に向かいましたがお目当ての乗り継ぎ方法で行くとなると長時間待たなくてはなりません。電車の本数があまりないのだ、ということを肝に銘じておくべきでした。