三条大橋 - 弥次さん喜多さんの労いを受ける
東海道五十三次 / 42次 桑名宿 - 三条大橋 / / 2009-2014
行く道に蝉丸神社がありました。蝉丸は子供時代にやった坊主めくりで一番面白いキャラクターでした。実は素晴らしいお方のようです。 神社の前をローカル線画が走っていきます。
逢坂「日本書紀」によれば、神功皇后の将軍・竹内宿禰がこの地で忍熊王とばったりと出会ったことに由来すると伝えられています。この地は、京都と近江を結ぶ交通の要衝で、平安時代には逢坂関が設けられ、関を守る関蝉丸神社や関寺も建立され和歌などに詠まれる名所として知られていました。
関寺旧址 逢坂山 安養寺本堂には、重要文化財阿弥陀如来坐像が安置されている。 また同寺は、蓮如上人の旧跡で、上人「身代わり名号石」が残っている。なお、境内の「立聞観音」は古く東海道名所図会等に記載されて有名である。
大津市産業観光部 観光振興課
日本史を勉強してから来ていたら、ここで多くの感慨がわいてきたことでしょう。
東海道と伏見街道の分岐点を過ぎてからは下り坂になったり、上りになったりしました。京都が近くなるにつれ、大津宿の手前で写真をとり損なった美しい旧家などが頭を過るのです。
私は、高速道路が交差している箇所で旧道を見失ってしまいました。気を取り直して旧道にに戻る道を探します。
山科手前の丘に続く細い道に木々の緑や蕾を膨らませた木立から光が燦々と降り注いでいました。これが東海道で見る最後の自然かもしれないと感傷的な気持ちになりました。まだここにいて自然と戯れていたい名残惜しさと、早く終点に到着したいという気持ちが交錯します。
丘を越えると、京の町が広がっていました。私は蹴上のウェスティン都ホテルを横目に粟田神社の前を通りました。少し行くと、坂本龍馬が結婚式を挙げた場所がありました。
もう東山駅です。ゴールはすぐそこにありました。
三条大橋は輝いているように見えました。私は行き交う人たちと同じように大橋を渡りました。鴨川は何事もないように流れています。渡り終えると弥次さん喜多さんが、東海道を踏破した先人たちを迎えたときと同じように私を労ってくれました。
何全万人を魅了した十返舎一九の偉大さと、東海道に刻まれた歴史をほんの少し分かったような気がします。
その後、私は銭湯で汗を流し、踏破の祝杯をあげるために飲み屋に直行したのでした。
弥次喜多像この像は、江戸時代後期に十返舎一九が書いた滑稽本「東海道中膝栗毛」の主人公である弥次郎兵衛と喜多八をモデルにし たものです。
「東海道中膝栗毛」とは二人が伊勢詣でを思い立ち、散々の失敗や滑稽を繰り返しながら、東海道を江戸から京、大阪(大坂?)に旅する様子を描いた滑稽紀行文です。物語では、大阪に行く前に三条大橋近い宿屋に泊まって、ハシゴを買わされる話になっています。
このブロンズ像は、三条小橋商店街が、二科会の会員で彫刻家の小山由寿氏に制作を依頼し平成六年に建立し、西院春日神社内にある旅行安全・還来成就の神である還来(もどろき)神社に御祈祷をして頂きました。