シシリア 再び
2000-2011
/早春のカターニャ
カターニャで、道を尋ねました。「今日」という雑誌を胸に抱いた黒髪のおばさんです。
おばさんは、「あなた、ベリーニに行きたいって、ベリーニ通りか、ベリーニ公園かどっちなの?」と聞きます。 「公園の方です」と言うと、「それは遠いわよ。」といって、すぐそこにあった珈琲屋さんで、詳しい行き方を聞いてくれました。そこのお客と、おばさんは口を揃えて言いました。「三キロもあるよ。歩けないから、長距離バスにのりなさい。」おばさんは、私を連れて、バス乗り場までくると、ちょうど来たバスに一緒にのって、公園前まで来てくれました。二人でバスを降りると、「ここには二ケ所入り口があるの。あっちと、そこよ。」と説明して、「じゃあね。」と一言、さっさと行ってしまいました。お礼をいう隙もないのでした。
彼女の瞳は、カターニャの背後に姿を見せる、エトナ山の光沢のかかった溶岩の黒でした。
ラグーザヘ
「君はもう、この町の虜になったかい?」 ラグーサで知り合った男の子は聞きました。
ラグーサの旧市街は入り組んでいて、狭い小道を抜けるたびに、新しい視界があらわれます。
夜になると、家々の軒先にだいだい色の明かりがともり、闇の中にこの小さな町が浮かび上がります。それはまるで、小さなころに見た絵本の世界でした。
「貴方にとって、ここは生活だけれど、私にとっては夢なのよ。」 私は言いました。 「君だけじゃないさ、僕にとってもここは夢なんだ……。」 そう言う彼の瞳をみると、この町を囲む瑞々しい緑の谷を映したような、エメラルドの色をしていました。
ヒッチハイク
ノートの街で、沖縄人に出会いました。話してみると、二人ともゴシック建築のこの街は一回りしたところで、遺跡を見に行きたいと思っていたところでした。遺跡への交通手段はタクシー以外ありません。画学生の彼女はスケッチブックを持っていました。行商人の私はマジックペンを持っていました。そこで、遺跡までヒッチハイクをすることにしました。
オールド・ノートと書いたボードを掲げて十数分たったとき、一台の赤い車が止まりました。中には赤ちゃんを乗せた若夫婦がいます。「遺跡には何もないんだよ。だからバスも出ないんだ。」若い夫は教えてくれました。車はゆるい山道をのぼり、目的地までは十キロ以上あるように感じます。私たちは、もし車に乗せてもらえなかったら、歩いていこう。と考えていたのが無謀だったことに気づきました。
若夫婦は、帰り道、車を拾えなさそうな私たちを思いやって、「この遺跡は広いから、一緒に車で廻って、帰りは送ってあげるよ。」と提案してくれました。五人は廃墟になった城を見てから、古い教会の中に入りました。裏に回ってみると、はるか遠くにノートの海面がキラキラして見えます。
沖縄人はいいました。「宮殿をみてみたいんですけど、いいかしら?」「宮殿はなにもないよ。瓦礫なんだ。」夫が答えながら車を進めました。着いてみると、本当に、宮殿の土台だけが、かつての場所に残り、立派だったはずの建物は形を残していません。咲き終わり、茶色く枯れたサルビアの花がこの風景になじんでいました。
二人の子供、サミュエルの水色の瞳は、ノートの明るい空の色なのでした。
羽の折れた鳥
ラグーサの夜、ホテルに帰るとき、路傍に黒い鳥が落ちていました。左の翼は折れ、羽はむしられて、中から赤黒い色が見えます。友人はそれを取り上げると、私の両手に乗せました。「かわいそう。」「下に戻したほうがいいよ。こうなってしまったったら、彼女は長く生きられないからね。」「でも、このままだと、猫に食べられてしまうでしょ。」私は手拭にくるんで、彼女をホテルに連れて帰ることにしました。
部屋に戻っても彼女はおとなしいままです。洗面台にぬるま湯をはって小さなお風呂をつくりました。湯船につかると、彼女は気持ちよさそうに目を閉じるのです。傷の汚れを洗ってやりました。その晩、彼女にコンテンティーナ(幸福)という名前をつけて、サイドテーブルの上に小さいベットをつくり、物語をしながらいっしょに休みました。
翌日、ジェラに向かいます。彼女がパン屑も、水も、檸檬汁も受け付けないのが気がかりなので、袋に入れていっしょに行く事にしました。ジェラは工業地帯で、他のイタリア人も、「どうして君はジェラなんかに行くの?」と不思議がるのですが、ここにも紀元前の人々の足跡があるのです。海辺の公園は想像以上に美しく、目的の遺跡は修復中でしたが、一面に咲き乱れる野の花と海の色を楽しんでいました。ちょうどその時、コンテンティーナは私の紙袋からひょっこり抜け出して、叢に逃げてしまったのです。
アグリジェントに来たときは、再び一人になっていました。
アグリジェントは小さな町で、友達ができると、示し合わせなくても何度も会うことができます。私は友達の一人に、コンテンティーナの話をしました。彼は言いました。
「彼女はお日様が好きなんだよ。それとも、そこを最期の場所に選んだのかもしれないよ。」 彼の瞳は、アグリジェント近くのシクリアーナ海岸の岸壁の色、グレイと栗色の混合された複雑な色をしているのでした。
アグリジェントからトラパニへ
トラパニからバスで行ったところに、セジェスタ遺跡があります。
バスを降りて、大神殿をぐるっと回ってみました。そこから劇場へ行こうとしましたが、けっこうな道のりです。道は勾配になっていて、うす雲の日なのに、ちょっと汗ばんできました。この町を造ったセジェスタ人の苦労が偲ばれます。周りに遠足の小学生がたくさんいて、彼らも劇場に向かっているところでした。彼らの無邪気な話し声に元気がでてきました。その中の一人と挨拶をかわすと、あとからあとから子供たちが自己紹介をしに来ます。名前は多様でおぼえきれません。
キアラという透き通るような白い肌の女の子の胸に、月の意匠のペンダントがあり、私は訳してあげました。彼女はそこで初めてこのデザインの意味を知ったようです。
子供たちや先生と話しながら歩いていくと、いつの間にかどこかに行っていたアントニオが、ひょっこり顔をだしました。彼は野の花で小さな束をつくって、はにかみながら私に差し出しました。「ありがとう。とっても綺麗ね。」「どういたしまして。」覚えたての英語で答えます。まわりのみんなも、楽しそうに見ています。
ようやく劇場に着きました。丘の上に威風堂々とある劇場からは、夕暮れ時のパノラマが広がっていました。
トラパニの町
トラパニの港へ行く途中、ある教会の扉が開いているのに気づきました。入ってみると、内部は、改修中のようで、そこここに、材料が置かれ、カバーで壁面が覆われています。天井に近い窓からやさしい明かりが漏れています。「いいですか?」箒であたりを掃いていたお姉さんに聞きました。「はいどうぞ。」彼女は笑顔で答えます。
しばらく見ていると、お坊さんが現れて言いました。「君はクリスチャンなの?イタリア語わかりますか?」彼は、そこにあったモニュメントについて説明してくれました。そばにいた学生風の男の子が英訳してくれます。帰る時、お坊さんは、トラパニの神話と写真の載っている小冊子を持たせてくれました。
あとで、駅のカフェに行ってみると、店員さんは、以前訪れた時と同じ人でした。コーヒーとお菓子を注文します。そこに、サングラスをかけた陽気なお兄さんが話しかけてきました。「これからどこに行くの?」「チュニスに」彼は「どうして行くの?シシリアだけで十分楽しめるよ。」
そこには二年前のある日曜日、長距離バスが不通で、半べそになっているときに出会ったタクシーの運転手さんがいました。彼は、私のことをすっかり忘れていましたが、柔和な笑顔はあの時と変わりません。
チュニスから帰る船で、トラパニ人と出会いました。彼は、風の街トラパニを包む海の色、どこまでも抜けるような青い瞳をしてるのです。
「シシリア人は素直であかるいね。」私が言うと、彼はにっこりして答えました。
「もちろんさ。僕たちはいつも太陽と一緒に暮らしているんだよ。」